木曜日, 2月 04, 2010

朝青龍の引退

 いきなりで驚くと同時に、色々考えさせられました。

 朝青龍が横綱でなくて大関以下の力士だったら、今回の事件で引退に追い込まれることはなかったんじゃないか。横綱の伝統を汚したと日本相撲協会からの追求を受け、結局こういう判断に追い込まれたんじゃないか。そう考えると、かなり嫌な気分になります。

 そもそも相撲の伝統とは何なのでしょうか?

 横綱が司家からの免許を受けたものでなく、相撲協会が実力者に与える称号になったのは、戦後のことです。
 過去に東京と大阪に分かれていた相撲が、全国で一つの組織に統一されたのは昭和になってからのことです。
 最近、貴乃花の理事選挙当選で、話題になっている「一門」というものも、古いものでも明治時代からで、ほとんどが昭和初期に当時の実力のある横綱がルーツになったものです。過去の伝統に従うなら、一門なんて大横綱が新たに作れるものだと思うのですよ。

 そもそも、競技者のOBである相撲協会が自分たちの作ったルールに従って、弟子達の中から横綱を選ぶというのが、伝統とは違うのですよ。戦前は司家という家元のみたいな存在が免許という形で横綱を選んでたんですよ。
 それを競技者主体で実力本位に選べるようになったのは、戦後のことですよ。

 今の相撲の制度の歴史に比べたら、アメリカの大リーグの方がずっと歴史が古い。だけど、ワールドシリーズのチャンピオンチームの選手とか、シーズンMVPの選手が、軽い暴力事件を起こしたくらいで、引退に追い込まれたりしますか?

 当事者で示談が成立しているわけで、せいぜい謹慎半年くらいですむ話だと思うのですが、それが横綱の権威なんていうありもしないもののせいで、まだ29才の才能あるスポーツマンが競技人生を終えなきゃならないなんて、私にはまったく理解できません。

 それに、もっとも人気のある力士を引退に追い込んじゃって、来場所から相撲協会はどうするつもりなの?横綱は一人になっちゃうし、対抗できる力士はいないし、これじゃ、来場所以降はずーっと盛り上がらないよ。自分で自分の首を締めてるだけじゃないの?

 相撲界は伝統の部分と近代的な競技としての部分をもっときちんと分けて考えて、スポーツとして近代的に変わるべきだ。少なくとも昭和の初期にはそういう機運があって、今の制度になったのじゃなかったのか。古い因習は立ちきるべきだ。さらに前に進まなければ、また同じ悲劇が繰り返されるだけだ。

 なんか、今の日本の縮図を見ている気がしてきた・・・

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