土曜日, 10月 31, 2009

名松線 一部廃止へ

 先日の台風18号で被害を受け、一部区間での運休が続く名松線が、一部区間で廃止になるそうです

 名松線というのは、三重県の旧伊賀国南部にある名張市と旧伊勢国の中心部にある松阪市の間を鈴鹿山地を越えて結ぶ目的で計画された路線で、計画当時は三重県北部を東西に結んでいた関西本線の伊賀上野から私鉄が名張まで通っていたので、これと名松線をつなぐことで、三重県の伊賀地方と三重県の中心部を直接接続しようと意図されたものだと思います。
 名松線はまず松阪側から建設が始まって、山間部の伊勢奥津まで開通したのですが、ここでその存在意義を失わせる事件がおきます。後の近鉄となる大阪電気軌道(大軌)が大阪と伊勢神宮や名古屋との接続を目指して、奈良盆地から一気に西進し、子会社の参宮急行電鉄(参急)によって名張-松坂間を青山トンネル経由で開通させてしまったのです。
 これにより名松線はその名の目的を奪われ、現在の松阪-伊勢奥津間で細々と運行する盲腸路線として放置されることになりました。しかも需要の多い平野部は参急->近鉄の路線と完全に平行しており、あまりにも険しくて道路整備が進んでいない山間部区間だけがその存在意義となったのです。
 当然のことながら名松線は採算が合うはずがなく、一度は国鉄再建により廃止対象となりました。ところが名松線は結局廃止を免れました。それは名松線の走っている山間部があまりに険しくて、並行道路が整備されておらず、バスが運行できないという理由です。この理由で廃止を免れたのは全国でも岩手県の岩泉線とこの名松線だけです。

 さて、名松線の歴史について簡単に説明しましたが、2・3年前、私はいったいバスも走れないところとはどんなところなのか見てみたくて、名松線に乗りにいったことがあります。その時は名松線で松阪から伊勢奥津までいって、伊勢奥津からバスに乗りかえて名張まで行きました。で、行ってみると、これがなるほどという険しいところでした。狭くて急な渓谷の上の方を鉄道が走っており、眼下に平行する道路が見えるのですが、これが細い。たしかにバスがすれ違えるところは限られていると思います。
 でもねえ、伊勢奥津でバスに乗り換えてみたら、その先はもっとすごい。集落の中の狭い道は軒にぶつかりそうだし、山道は崖が迫ってきていて、カーブにあるすれ違うための場所で、毎回停車して反対側の車を通してから次のすれ違う場所まで進むって言う感じで、おそらく表定速度は15キロくらいしかでてないんじゃないかって感じです。こんなところにバスが走れるなら、名松線を平行する道路なんて楽勝なんじゃないかって気がしました。

 ずいぶんと長い話になっちゃいましたが、この話の結論に入ります。
 私は鉄道が好きで、鉄道がどんどん廃止されていくことには非常に寂しく思っています。今でももしこの路線が残ってたらと思う廃線がたくさんあります。そんな思いが私に「Tokyo Railways」を作らせたといっても過言じゃないでしょう。でもねえ、沿線の方々には悪いが、名松線はちょっといくらなんでもその存在意義がなさすぎる。はっきりいって今まで残っていたのが間違いな気がする。近鉄が青山トンネルを開通させた時点で、廃止にしてしまって問題なかったはずです。そんな名松線が廃止を免れたのは、山間部の不便さのためですよねえ。なのに山間部だけ廃止してどうするの?山間部をバス代行にするなら、全線廃止して、平野部の輸送は並行する近鉄線に任せりゃいいじゃない。代行バスは大阪方面から直通でこれる近鉄の榊原温泉口駅あたりから発着させた方が、観光客には便利だと思うよ。それよりも、名松線の並行区間とその先の山間部の道をちゃんと整備して、せめてバスがすれ違える広さにすべきだと思うよ。このままじゃ観光バスも入れないから観光どころじゃないでしょう。年間5億円以上の赤字を存在意義の薄い路線に突っ込んでいるほど、今の鉄道の状況は楽じゃない。そんな金があるならもっと存在意義の高い路線の存続に使ってほしい。
 名松線を維持する金を回せたら、のと鉄道の輪島-穴水間だって、島原鉄道の島原外港の先だって廃止されないですんだかもしれないと思う。

 最後に、名松線の区間に線路を引いてみたい方は、私の作っている「Tokyo Railways」の東海マップでカバーしているので遊んで見てください。
 それから、近鉄の青山トンネル開通の話は、「東への鉄路」(上巻下巻)という小説に出てきます。この小説はホントにおもしろいので、興味のある方は是非とも読んで見てください。

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