月曜日, 5月 26, 2008

北陸の旅 その13 九頭竜湖駅


 実は今回の文書を書いているのは5/25なのですが、なんと新幹線の中.つまりですねえ、やっぱり北陸の旅をアップし終わる前に、次の旅に出てしまいました・・・。
 それはともかく、時間を3週間前に戻して、北陸の旅の最終回です。詰め込めるだけ詰め込んだ強行軍日程の最終日、その大半をなんとか無事にクリアして、残すところは最後の目的地のみ。一乗谷駅から越美北線で越前大野方面に向かったところまでが前回の話。
 最後の目的地は越美北線の終着駅「九頭竜湖駅」。地図を見るとなぜこんなところで鉄道が途切れているのか非常に疑問が湧いてくるとんでもない秘境の駅です。こんな機会でもないと消してくることもは無いだろうと思い、帰る前に行ってみることにしました。
 夕暮れの大野盆地(写真1)をすすみ、山に入るといきなり地下鉄状態。駅以外は全部トンネルです。駅と言っても非常に寂しいところばかりで、岐阜と福井を連結するという夢が破れた今、なぜまだこんなところを鉄道が走っているのか全く不明です。
 2・3人しか乗っていない列車は1時間あまりで終点の九頭竜湖駅(写真2)に到着。
 列車の寂しさの割には駅の回りには10人あまりの観光客がいて、クレープ屋とか店を出してました。どうやらこの駅前は、道の駅のようになっていて、バイク乗りやドライブの途中の人たちが休憩所にしているようです。せっかくだからクレープをいただいたあと駅の周りを探索。駅前の地図とか見てみましたが、九頭竜湖駅という割には、湖は10キロくらい離れているようで、とても徒歩では行けるところでは無いようです。
 駅に戻ると、越美北線の名前にも関わらず美濃を目指した線路は、この通りここで途絶えてます(写真3)。駅前には恐竜の像(写真4)。ここは勝山市ではなくて隣の大野市なのですが、駅名が「9つの頭を持つ竜の湖」なので、こんなのがあるようです。ホームはこんな感じで、無人駅の割には立派です(写真5)。特にすることもないし、次の列車が終電なので、来た列車でそのまま福井へ折り返しました。夕暮れの大野盆地はまだ田植え前で、田んぼの水が光を反射してとても幻想的です(写真6)。
 福井についたらもう夜8時過ぎ。越美北線のホームは、なんと北陸線と同じホームを段差を使って利用してました(写真7)。前後で分けているとかは見たことが有るが、段差をつけて共用しているという例は他ではあまり見たことが無い気がします。さて土産でも買おうかと、福井の駅前に出てびっくり。ほとんどしまってました・・・。
 幸い福井名物のソースかつ丼屋は開いていたので、ソースかつ丼を食べ(写真8)、無事に22時のバスに乗り東京へと帰りました。
 新宿に着いたのは朝5時過ぎ。うちについたのは6時過ぎ。その日は夕方まで爆睡でした。
 余談ですが、温泉とおいしいもの三昧のこの旅で、体重が2キロ増えてしまい、以後、ダイエットに苦しめられています。
 
 以上、長かったGW北陸の旅の話は無事完結しました。長らくのおつきあいありがとうございした。

日曜日, 5月 25, 2008

開発:Tokyo Railways(Java版)


 Tokyo Railways(Java版)の開発状況ですが、先週はいろいろと忙しくて少し停滞気味。週末に旅に出たときに、待ち時間を利用して少しは進めましたが、なんかフレームワークをいじってただけで終わってしまいました。
 とりあえず、少しずつは前進していますので、気長に見てやってください。

北陸の旅 その12 一乗谷


 前回までの話は、GW中を利用した北陸の旅の最終日、最後だからと欲張って、強行軍日程を実行。アクシデント続きでギリギリだったけれど、福井−永平寺−勝山とクリアして、15時に越前大野駅に到着したところまで。
 さて、越前大野から越美北線の福井方面行き(写真1)に乗ってどこに向かったかというと、それは実は「一乗谷」。一乗谷っていうのは、戦国時代に織田信長に対抗して滅ぼされた朝倉氏の本拠地だったところです。30分ほどディーゼルカーにのって一乗谷駅に到着(写真2)。駅前は田んぼしかない(写真3)。
朝倉氏の遺跡群はこの駅から徒歩で20分ほどとのことなので、歩いていきます。途中にはなんにもないので、迷いようがありません。20分ほどで入り口に到着(写真4)。遊歩道が整備されていて、谷に流れる川にはおしゃれな橋がいくつもかかってました(写真5)。
 ここでアクシデント、調子に乗って写真をとってたら、1GBのフラッシュメモリを使い切ってしまいました。仕方なく近くの休憩所でコーヒーを飲みながら、Mac Book Airを引っ張りだして、写真の転送を実施。1GBもあるし、カードリーダーがぎゅうぎゅう詰めのリックの底の方に入ってたせいで、荷物の整理にも手間取り、ここまでで15分くらいかかってしまいました。
 この朝倉遺跡群というのは、結構広くって、入り口から中心である朝倉当主・義景公の屋敷跡まで15分くらいかかります。屋敷跡は門だけ再建されていて(写真6)、中には墓(写真7)(本物?)がある以外は、何もありません(写真8)。そのそばに昔の武士の屋敷を再現した場所があったのですが(写真9)、入場料をとられるのでパス。
 ここで、次の列車までの残り時間が30分くらいしか残っていないことに気がつきました。普通に歩けば35分くらいかかりそうです。夕暮れの一乗谷を、往事の朝倉氏の栄華を想像しながらも、早歩きで駅を目指し、なんとか5分前に到着。ちなみにこれが一乗谷駅前のメインストリート(写真10)です(笑)。左の建物は駅ではありません。民家の倉庫です。右側の小さな小屋みたいなのが駅の待合所です。
 さて、時間は17時過ぎ。今度はまた列車(写真11)に乗って越前大野方面へ引き返します。日の長い季節ですが、おそらく日没まで1時間あまり。このわずかな時間に期待して、最後の目的地に向かいます。
 最後の目的地とは何処なのか。そして無事に福井からバスに乗って帰京できたのか。

 例によって、続きは次回!

火曜日, 5月 20, 2008

北陸の旅 その11 勝山城博物館-越前大野


 初夏の太陽に照らされて、やっとの思いでたどり着いた勝山城(写真1)。正式には勝山城博物館といいます。この城、戦国時代や江戸時代に築城した由緒正しいお城の跡に再建したもの・・・ではなくって、なんと平成になってから築城したパチものです(汗)。
 でも、この場所は白山の麓の小高い場所に位置し(写真2)、勝山の町が一望でき(写真3)、由緒正しい平泉寺白山神社が横に見えます(写真4)。今回の旅の初日に断崖絶壁で有名な東尋坊へ行ったという話を以前にアップしましたが、その由来となった乱暴者の東尋坊さんは、なんとここに住んでいたらしいのです。でもそんなことはこの時には全然知らず、帰ってきてから知った次第です。知ってても、どうせ時間がなくって行けなかったけどね。
 この城、城下は道の駅みたいになっていて結構にぎやかだったのですが、城の中には人がほとんどいません。でもちゃんときちんとした制服を着た従業員がいて、エレベータまで案内してくれました。きっとこんな城を造るくらいだから、オーナーはお金には困っていないのでしょう。まさか現代の日本で自分の財力で城を築城してしまう人がいるとは思っても見ませんでした。
 城を眺め終わったら、越前大野からの電車の時間まで30分をきっています。タクシーを読んでもらうおうと入り口の窓口に行くと、なんと記念品にTシャツをくれました・・・やっぱりお金には困ってなさそうです。
 にぎやかな城下に戻って、タクシーにのり、一路越前大野へ。所要時間は15分ほどで、10分前に到着しました。越前大野駅は古風な雰囲気を意識しているけどどう見ても新築な立派な駅で(写真5)、いかにも観光地という感じです。やっぱり勝山なんかスルーして大野を観光すべきだったと後悔しても後の祭り。越美北線のディゼルカーに乗って、福井方面に出発しました。
 もうこれで終わり? いいえ、まだこの時点で15時をすぎたばかり。帰りのバスは22時過ぎですので、まだ7時間も残ってます。
 では次はどこに向かったのか?それは次回までの謎として残しておきます。

 続きは次回。

北陸の旅 その10 永平寺口−勝山


 さて、前回は、永平寺のそば屋でバスの待ち時間をつかってそばを食べようと思ったら、出てくるのが遅すぎて、バスの10分前にようやく出てきたという話でしたが、果たしてバスに間に合ったのか。
 実は、越前そばというのは、冷たいそばに大根おろしを乗せたもので、食べ始めるとあっというまで、5分で食べ終わってしまいました・・・なんというか、ちょっと損した気分。
 というわけで無事にバスにのって、再び永平寺口駅へ。
 ところで、ここは数年前まではえちぜん鉄道ではなくって、京福電鉄の路線だったのですが、1年間に2回の衝突事故を起こして、運行停止に陥り、結局京福が放り出して3セクのえちぜん鉄道となったという過去があったのですが、実はこの駅、その最初の現場です(写真1)。
 ちょうど写真にあるように、勝山方面から来た電車が、ブレーキが故障して、この駅をオーバーランし、反対側から来た電車に正面衝突したそうです。
 現在のえちぜん鉄道は、この時の教訓を生かしていろいろと設備を強化しているそうなので(その負担ができなくて京福が手放したそうですが)、安心して乗り込み、終点の勝山を目指します。
 勝山駅ですが、駅舎はあまり大きくなくて、駅前にいきなり恐竜が待っています(写真2)。
 勝山市というのは、恐竜の化石が沢山出る場所だそうで、車窓から、派手な作りの恐竜博物館が見えていましたが、駅から凄く遠いし、特に恐竜に興味もないので、こちらはパス。
 代わりに、勝山城というのを見に出かけることにしました。地図を確認すると市街地の外れにあるようで、1時間くらいはかかりそうです。レンタサイクルを使おうかどうか迷いましたが、次の目的地まではどうせタクシーなので、勝山駅に戻ってくるのが面倒なので、歩いていくことにしました。
 駅は市街地から九頭竜川を隔てており、長い橋をわたって(写真3)市街地を目指します。
 市街地に入っても家はあるけど、あまりにぎやかな様子ではなく、とぼとぼと住宅街を歩いていったのですが、この日は非常に良い天気で、まるで夏のような太陽がギラギラと照りつけます。
 町の外れまでくると、ようやく城が見えてきて、その後ろには白山の山々がそびえ始めると、風が急に涼しくなり、町の道の脇にはあちこちでものすごい量の水が流れています。これは白山の雪解け水なのでしょうか。随分と水が豊富な豊かな自然の町のようです。
 風が涼しくなり、歩くのは楽になったのですが、一時間を経過してもまだ城につかず、だんだんと焦り始めました。実は次の目的地は越前大野で、そこから越美北線に乗る予定で、列車の時間まで2時間くらい有ったのですが、ここで一時間を大きく超えて消費してしまうと、これでは大野が観光できないどころか、列車にも乗れなくなってしまいます。ここら辺で朝の寝坊の影響が出てきたのです。
 やっとのことで勝山城(写真4)についたときには、残り時間は45分くらい。果たして無事に大野にたどり着き、列車に間に合うことができるのか。
 綱渡りの旅が続きます。

 続きは次回。

月曜日, 5月 19, 2008

北陸の旅 その9 永平寺


 先を急いで、続けてアップします。
 えちぜん鉄道の勝山永平寺線に乗って、次の目的地、曹洞宗総本山・永平寺を目指します。電車に30分くらい揺られて、永平寺口駅で降りると、そのすぐ横にバス停があり(写真1)、ここから永平寺の門の前までバスで向かいます。バスを降りて、階段を上り、永平寺の門をくぐると、そこには明るい緑に覆われた広い参道があり(写真2)、左側の斜面に壮大な永平寺の建物が並んでいます。大きな門をくぐると左の建物に入ると、大きな広間に沢山の人が集まっていて、まずはここで注意事項を聞いて、それから中へと向かいます。中には長い階段の廊下とか大きな建物とかが林立していて、それを全て広い渡り廊下が結んでおり、それらは全て木造で、多くのお坊さんが修行に励んでいました。とりあえず、中の写真をいくつか張っておきます(写真3、写真4、写真5、写真6)。ちょっと暗かったので、中でとった写真はぶれているのが多くって、写真では残念ながら中の雰囲気は伝えられません。ゆく年来る年で毎度登場する永平寺の雰囲気がよくわかりました。
 この日は後の行程が詰まっているので、永平寺は早歩きで回り、次のバスの45分くらい前に、バス停のそばまで戻ってきたので、ここで越前そば(写真7)とごま豆腐(写真8)を食べよう(謝と大きなそば屋は行ったのですが、これが大誤算、30分待っても出てこない。完全に忘れられていました。やっと出てきたときには残り10分。果たしてバスには間に合うのか。誤算続きの最終日です。

 続きは次回。

北陸の旅 その8 福井


 既に旅から2週間以上経過していて、このままほっておくと、この話が終わる前に次の旅に出てしまいそうなので、早いところ終わらせたいと思っているところです。GWのまっただ中の5月3日、ところは金沢のホテルから話を再開します。この日の夜に夜行バスで帰京の途につく予定なので、これが実質的に最終日。
 ですから、今回でこの長い話も終わり、と、言いたいところだったのですが・・・実はこの日はとんでもない強行軍を実行しまして、とても一回では書けない。ですので、もうしばらくおつきあい願います。
 最終日は前の晩に綿密な予定を立てていたのですが、計画を立てるのに熱が入り過ぎ、なんと1時間も寝坊してしまいました。いきなり最初でつまづいたのですが、もう一度計画を見直してみると、ちょっと綱渡りだが何とかなりそうです。朝からの快晴にも勇気づけられて、特急しらさぎで福井に向かいます。
 まず最初の目的地は福井城址。ここは現在福井県庁がおかれていて、今でも福井県の政治の中枢でありつづけています。ここは福井駅から5分くらいの場所なので、45分後の電車に乗ることを目標に定め、観光に出かけました。
 福井城址は今でも堀に囲まれていて(写真1)、県庁とはいえ当時の雰囲気を残しています。中に入ってみると騎馬武者の像があり(写真2)、誰だろうと思ってみると、これが結城秀康公、関ヶ原の時に上杉に対する抑えとして功績を上げた人ということしか知りませんが、福井の城下町を整備したということで、ここに像が造られているそうです。大阪夏の陣で大活躍した松平忠直公は、さすがに後の素行が悪すぎるので像にはならないでしょうね。
 旧天守閣の場所は小高い丘になっており、木がちょっと邪魔ですが、まあまあの見晴らしです。そこから下を見ると、堀に橋が架かっていて、これがやたら新しくて立派な屋根がついてますので、これを見てみました(写真3)。昔の橋を再建したものらしいです。
 橋を渡るとそこに大きな公園が(中央公園?)が現れました(写真4)。ここをぶらぶらしていると、なにやらにぎやかな祭りの音が聞こえてきました。どうやら地元の小さな祭りみたいで、これまた小さな神輿が出てました(写真5)。
 福井の観光は短いながらもこの辺で切り上げ、次はえちぜん鉄道の駅に向かいました。駅前は再開発中のようで随分と殺風景です(写真6)。

 次はえちぜん鉄道に乗って、九頭竜川の上流へと向かっていきます。
 続きは次回。

日曜日, 5月 18, 2008

Yahoo動画で野球観戦


 今年から、Yahoo動画でパリーグ全試合の実況中継とダイジェストが見れるのですが、これが面白いです。
 昔は球場によく足を運んでいて、日ハムの試合を年に50試合くらい見たこともあったのですが、最近は球場から足が遠のき、日ハムも北海道に行ってしまったので、めっきり見る機会がなくなりました。よく考えたら、まだ生でダルビッシュを見たことがありません。
 そんな中で、このサービスは非常にありがたい。
 毎朝日ハムの活躍が見れてうれしいですねえ。
 ただ気になるのは、セ・リーグの試合はなぜ見れないのか。
 おかげでセ・リーグのことがよくわからなくなりつつあります。

タイトル変えました


 今はJavaでゲームを作っていて、ちっともObjective-Cを使ってないので、実態に合わせてタイトル変えました。
 本当に実態に合わせたら、「Game開発旅行記」な気もするけど(苦笑)。

開発:Tokyo Railways


 Tokyo RailwaysのJava版開発ですが、先週は結構時間が取れました。
 車輪の再発明的な自前ダイアログ機能は、いちおう実装が完了し、今は仕事駒データの入力中です。
 Tokyo Railwaysには370枚の仕事駒が登場するのですが、今のところ300枚の入力を終了。
 さっきアップしたubuntuのインストールに手こずったせいで、その待ち時間の間、ずーっとデータ入力していたのでずいぶんはかどりました。
 来週には仕事駒の表示処理を組み込んでしまいたいと思ってます。

 まだまだ先は長いです。

BootCampでUbuntu


 Intel MacのMac mini(Intel Core、Core2ではない)でUbuntuを使おうと思って、半年ぐらい前からBootCampでWindowsパーティションを作ろうとしてたのですが、どうも断片化しているせいらしく、システムエラーとなってしまって、うまく行かなくてほっておいていた。(これはこれで修復が大変でしたが)
 今朝になって、今日こそはと思い、作業を開始。
 まず最初にいつものようにBootCampでWindowsパーティションを作ろうとすると、やっぱりシステムエラー。
 次にひと思いにディスクを初期化して、OS Xを入れ直し、BootCampでパーティションを作ったら、今度は成功。
 それから、ubuntuのインストールCDを起動して、インストールを開始したが、自動でやったらインストーラがSwap領域を作りにいってパーティションをいじられてしまい、インストール失敗。
 これを復旧するのが大変で、結局またディスクを初期化してOS Xを入れ直し。
 再度Ubuntuをインストールして、今度はパーティションは手動にし、Swap領域を作成せずにインストールを実行。
 今度はパーティションを壊されずにすんだのですが、ubuntuが起動しない。OS Xからインストールが完了したように見えていなくって、起動ディスクとして選べない。
 ネットを調べたらこのページ(英語)にたどり着き、解決。
 要するに、liloを使う必要があるとのこと。

 で、今は快適にubuntuを使っていると言いたいところですが、半年の間にubuntuのバージョンがが7.10から8.04にアップしていて、今はアップグレード中。あと、今、巷を賑わしているssh/sslのキーの問題への対応が残ってる・・・

 午前中だけで終わらせるつもりが、丸一かかってしまいました・・・とほほ。

日曜日, 5月 11, 2008

開発:Tokyo Railways


 開発言語をJavaに切り替えた"Tokyo Railways"の開発ですが、今は共通フレームワーク側の開発が中心です。
 今やっているのはダイアログの表示、操作部分。OSやSwingのダイアログはなんとなくゲームにそぐわない気がするので、過去に作ったHTML+Javascriptのゲームのように、イメージを利用してダイヤログを作ろうと思って、実装しています。
 基本的な仕組みはできてきたので、次は共通フレームワークからはなれて、これをTokyo Railways用のダイアログに適応していこうと思っています。

 なんか、かつてJavascriptで実装したのと同じことをやっている気がして、車輪の再発明みたいな気がしてきましたが、気にせず進むことにします。

 まだまだ序盤なのでのんびりお待ちください。

北陸の旅 その7 輪島-珠洲


 もう旅から帰ってきて1週間が経過しているのに、まだ旅の話を続けています。
 旅の5日目は5月2日。前の日は非常に暑い日で、北海道では30度とかニュースで言っていましたが、能登半島は曇りがちだったのですが、この日は朝から青空。ただ少しもやがかかった感じで、これは旅の間ずーっとそんな感じでした。春の霞なのでしょうか。
 この日は、前日に引き続き定期観光バスで、朝から夕方までバスです。
 まずは最初の目的地は輪島の朝市(写真1)、店も客も多くってにぎやかでした。
 カニ(写真2)とか、干物とかたくさん売っていたのですが、どこの店も商売上手で断るのが大変でした。結局、買ったのは岩のりだけだったけど。
 次は能登半島の各地で行われる祭りで使われる、切籠(きりこ)というものを集めたところを見学(写真3)。これがやたらでかい。よくこんなものを動かせますねえ。
 それからバスで能登半島の先端方面をめざし、千枚田(写真4)を見学。小泉元首相が「絶景だ」と言った場所だそうです。ボランティアの人たちがたくさん田植えをやってました。
 珠洲市に入って、沢山の鯉のぼりをみたり(写真5)、いろいろと眺めた後、昼食(写真6)。
 それから見附島(写真7)を見物。ここは別名・軍艦島というそうです。たしかに、そんな格好でした。
 最後は能登空港(写真8)に寄りましたが乗り降りなし(サビシー)。16時半頃、和倉温泉駅にもどってきました。
 この日の宿は再び金沢。食事は金沢駅にある加賀屋グループの能登豚トンカツ屋「わくら」で食べ(写真9)、いつの日か加賀屋に泊まりたいと思いながら味わいました。
 翌日は最終日、もう最後となるといろいろと欲が出てきて、プランを練っていたらすっかり遅くなってしまいました。
 続きは次回。